御厩池田公園化の計画


最終更新日 2026年03月24日
【パソコン用表示モード:画面幅900ドット用】 【スマホ用表示モード:画面幅360ドット用】

あなたの訪問は****回目です。

庄屋鶴打池田の分家、御厩池田です。
しかしそれも今は昔、私一人では庭を維持するのが難しく、公園化して、高松市・香川県・国に買い取ってもらうことを考えており、その為に整備を始めました。

私はそろそろ60歳なのですが、残念ながら独身であり、子供もいません。
このままでは、庭の整備もできずに孤独死です。
それを防ぐ方法の一つは、公園として使える程度に庭を整備して、高松市・香川県・国に買い取ってもらうことを決めてもらい、管理人にしてもらえれば、庭の整備をしながら孤独死も防げます。
個人宅を公営が買い取ることは、文化財指定でもされない限り難しいとは思いますが、結局の所、庭の整備次第でしょう。
鶴打池田は、江戸時代から続く庄屋だったそうです。
今も名残があり、「池田アパート」「池田マンション」この辺りから香東川/瀬戸内海まで鶴打池田だったそうです。
群馬県人はマイ海に憧れているようですが、鶴打池田はマイ海を持っていたようです。
もっとも、徳川家の江戸城は、建築当時は海に面していたそうなので、東京湾がマイ海だった訳ですが。


しかし、太平洋戦争の敗戦により小作人制度は解体、殿様のように甘やかされた本家の爺様は、放蕩を続けて散財、そして私の父親は長男ではなく次男だったので、今の御厩の地に移ったそうです。
長男以外の子供は10人いたようですが、男子は全員、土地と家を与えて分家、女子は旧庄屋・旧華族に嫁入りしたそうです。

  • 明治あるいは大正時代、当時の鶴打池田の当主は、何かを発明して、天皇陛下に褒美を与えられ、地元の新聞に載ったようです。
  • 鶴打の地名は、高松藩の殿様の鶴狩り場からきているそうで、鶴打池田はその家臣だったようです。
  • 池田養鶏場があった山は、小比賀邸(檀紙村)あるいは中間村の山と、鶴打池田の瀬戸内海の島を交換したようです。
    • 山について。
    • 今の山は、まとめて山になっていますが、昔は、山の峰ひとつを山にしていたようです。
    • 今の都道府県に比べ、当時の領地は小さく、今の山がひとつの領地に収まる訳がなく、峰や谷なども山と扱い、家臣に与えたり売買していたようです。
  • 文化財になった小比賀邸は、殿様に連れられて四国に渡ったそうですが、高松藩は徳川家の譜代大名だったので、同様に殿様に連れられて四国に渡ったのでしょう。

そのような訳で、分家ということもあり、2,000平方メートルほどのさほど広くはない庭ですが、高さ2メートルほどの小さな滝と泉水(池)も備えているので、整備をして、公園として価値ができれば、公に寄付・買取りをしてもらい、名前を「御厩池田公園」にしてもらい、名前だけでも歴史に残したい次第です。